さて、移動時間が長かった1日目ですが、2日目は村上駅から羽越線に乗り、日本海に沿って北上。桑川駅で降り、笹川流れをながめながら越後寒川駅まで2駅分歩き、その後再び羽越線に乗車し、山形を目指す予定でした。

しかし、今いる旅館や笹川流れを含む、新潟県岩船地域には朝から大雨警報が発令されました。しかも笹川流れ周辺には土砂災害警戒情報までもが!

「・・・こら、中止か?(ーー;)」

JR東日本のHPを確認したところ、羽越線は通常通り運行されているようなので、「・・・まぁ電車が動いているなら、大丈夫か。別に登山するわけでもないし・・・。海沿いの国道を歩くだけだし・・・。」というわけで予定通り旅館を出発。

←朝の村上駅。

ひとまず村上駅に着いて、酒田行きの電車(正確に言えばディーゼルだから電車ではない)に乗り、桑川駅で下車しました。

←羽越線の村上発酒田行き。いまどき東京ではなかなか見られない国鉄時代の車両。

←撮り鉄のひとたちがこの辺をよく撮っていたので、それに合わせて撮った。きっとなにか珍しいのかもしれない。

←車内はこんな感じ。1対1のボックスシートなんて初めて見ました。

←桑川駅前。

そうしたら、まぁ、大雨、大雨。「これはちょっとなぁ・・・」と思っていたところ、1台の車が駅前のロータリーに止まり、待っていた50代と思われる夫婦を乗せました。

「あなたも遊覧船の方!?」

そう迎えにきたおばちゃんに話しかけられましたが、「いえ、違います。」と応えたところ、車はさっさと走り去って行きました。

「・・・遊覧船?」

駅前にあった観光マップによれば、笹川流れを海から眺めるための遊覧船が出ているようです。

スマホですぐさまこの遊覧船を検索したところ、出発まであと10分。乗り場は駅から700mくらいのところにあるようでした。

「間に合う!!」

そう判断し、すぐさま遊覧船乗り場へ。

どうせ大雨なら、屋根がある遊覧船で海上から笹川流れをながめ、ゆっくり解説でも聞こうじゃないか。

でも陸地から見たい気持ちもあるから、越後寒川まで2駅分歩くのではなく、隣の今川駅まで歩くことにしよう!

 

・・・と考えたわけです。ちなみに越後寒川までは10kmほど。今川までは5kmほどです。遊覧船に乗って、越後寒川まで歩いた場合、乗る予定の電車に間に合わないというのも理由のひとつです。羽越線の新潟・山形県境付近は電車の運行本数が少なく、乗り遅れると2、3時間は次の電車がきません。

さて、遊覧船です。

結論から言えば、遊覧船にはしっかり間に合い、大雨の中の見学ではありましたが、ちゃんと笹川流れの変わった形のたくさんの岩たちを見ることはできましたし、野生のかもめやウミネコにえさをあげられる時間もあり、非常に楽しめました。

遊覧船の中での解説によれば、「きみもどし岩」や「まいこ岩」というのは源義経が奥州(いまの岩手県)に逃げた際の逸話が由来だそうです。

長くなりましたが、ここからが本題です。

源義経が逃げた、という話しですが、ざっくりあらすじだけ説明すると、

源義経と、後に鎌倉幕府を開くことになる源頼朝は兄弟(義経は弟)

義経と頼朝の父(源氏)は、平清盛(平氏)と戦うが負ける(平治の乱)。

父、逃げる途中で家臣に裏切られ殺される。

義経は奥州藤原氏がいる岩手県平泉へ、頼朝は北条氏がいる静岡県伊豆へ飛ばされる。

ちなみに、頼朝が飛ばされた「伊豆の蛭が小島」は名前だけ見れば伊豆諸島のどっかにありそうですが、実際は伊豆半島の内陸部、修善寺の近くの川の中州です。

 

義経と頼朝がそこそこいい大人になったあたりでタイミングよく、「調子に乗っている平氏を倒そう!」という動きが出る(以仁王の令旨。この命令を出した張本人の以仁王はすぐ殺される)。

ちなみにどのくらい調子に乗っていたかというと、高倉天皇と自分の娘の間にできた孫を天皇にしたり、「平氏じゃなければひとじゃない」という発言をしてみたり、日本の首都を京都から福原(現在の神戸)に移そうとしたりしたくらいのレベル。

いまいちよくわからないというひともいるかと思いますが、現代でいうところの薄口評論家でお馴染みの○村太蔵が、NHKのまじめなニュースに出演したり、あろうことか総理大臣を目指そうとするレベル。

頼朝、北条氏や仲の良かった千葉氏(「千葉」の由来になったひと)や三浦氏(神奈川県「三浦」の由来になったひと)の助けを得てその動きに乗っかる。義経も頼朝の下に駆けつける。

緒戦の石橋山の戦いでは負けたものの、その後は快進撃で平氏を京都から追い出す(ここから壇ノ浦の戦いまでがいわゆる「源平合戦」)。

平氏、壇ノ浦の戦い(本州・山口と九州・福岡の間にある関門海峡)で滅亡。

←wikipediaより壇ノ浦の戦いの様子。

源氏に仲間割れをさせようと後白河法皇(天皇を辞めて出家したひと。)が陰謀を働く。

←wikipediaより後白河法皇。絵だが、性格が悪そうな感じは伝わってくる。

頼朝、見事に陰謀にハマり、義経を殺そうとする。

義経、牛若丸他、少数の家臣を連れて、京都から日本海側経由で奥州藤原氏の下へ逃げる。

奥州藤原氏のところまで逃げ切ったものの、頼朝から奥州藤原氏に圧力がかかり、なんだかんだあって義経、自害。奥州藤原氏も滅亡。

・・・と、ここまではけっこう有名な話しなので、ご存知のかたも多いでしょう。ただ、そもそもとして「源平合戦」とはなんだったのか?「源氏」と「平氏」ってなんなのかを解説しようと思いますが、ここまででずいぶん長くなってしまったので、次回に続きます。