さて、前回、大雨警報&土砂災害警戒情報が出ている中、新潟・山形県境の笹川流れに行った的な話しから、源平の話しになりましたが、そのつづきです。

「源平」とは「源氏」と「平氏」なわけです。つまり、源さんと平さんです。 じゃあ彼らはいったい、なんなのかから話しを始めます。

ひと言で言うと、「武士」です。 武士という身分がなぜできたのかはいろいろ説がありますが、仕事としては貴族や寺、神社の持っている土地(荘園とか)の警備をしていました。 しかも、平安時代の後半になれば上皇(天皇を引退したひと。当時ほぼ最高権力者)の警備(北面の武士)までしたわけです。

wikipediaより白河上皇。北面の武士を制度として創ったひと

現代風に言えば、セコムやアルソックです。 平安時代(794年(泣くよウグイス平安京)から、1185年くらいまで)に出てきた身分です。 平安時代は、現代風に言えば、日本の中央政府がありとあらゆるものを委託していた時代です。

軍隊や警察すら、民間に任せていたわけです。 つまり、セコムやアルソックが軍隊であり、警察でした。現代世界では考えられない発想です。 そのセコムやアルソックの様な大手が、「源氏」「平氏」だったわけです。

そうなると、どうなるか? 天皇であれ上皇であれ、武士に逆らえなくなっていったわけです。 警察すら持っていない国では、所詮、腕力がモノを言うわけです。北朝鮮を見れば、よくわかるでしょう。やくざが社会を支配するわけです。 そしてそのただの警備会社からやくざになった源氏と平氏が争ったのが、源平合戦なわけです。

平氏は調子に乗りまくって、反感を買いまくっていたし。源頼朝・義経兄弟からすれば親の仇です。

ただ、「源平合戦」と聞くと、「源氏と平氏はほぼ対等な力を持っていた」って思っちゃうでしょ? 実際は、平氏が圧倒的な力を持っていて、源氏と平氏の間には埋めがたいまでの実力差があったわけです。

だから源平合戦が始まったときは、ほとんどのひとは平氏が勝つと思っていたわけです。 しかし、平氏のリーダーだった平清盛が病死。平氏は大混乱に陥り、壇ノ浦の戦いで滅亡します。

ただここでよく勘違いされるのは、平氏はこの時点で消滅したということです。 結論から言えば、平氏は消滅していません。 源頼朝の見方をした、北条も三浦も千葉も平氏だからです。 ちなみ源平合戦のに300年後に日本は戦国時代になりますが、織田信長も上杉謙信も平氏の血筋(正確に言えば養子に入っているので、直接血のつながりがあるかは微妙ですが)です。

だから、源平合戦とは言うものの、実態としては「源氏&関東の平氏VS平氏本体(平家)」なわけです。

この歴史から学べることとしては、 民間委託しすぎると、逆に乗っ取られる。 いくら大きい力を持っていたとしても、崩れるときはあっという間。 調子に乗りすぎると、それが結果的に弱点になる。 ということです。

さて、笹川流れに戻りましょう。歩いているときはずっと大雨でしたが、今川駅に着きしばらくたつと晴れてきて、海の向こうに粟島が見えてきました。 あしたは、いい天気になりそうです!