昨日の台風はひどかったですね。いま(9月10日午前5時半)でも成田空港から動けないひとが1万人以上いるんだとか。最近、「異常気象」という言葉をよく聞きますが、べつに最近になって異常気象があるわけではありません。昔からあります。

異常気象が大きな影響を与えた歴史を紹介します。第二次世界大戦のときに行われたナチス・ドイツVSソ連の独ソ戦です。第二次世界大戦のときに行われた戦いの中で、最も兵士が動員されたと言ってもいいホントに大規模な戦いです。いまから80年前の1939年、ナチス・ドイツとソ連の間で独ソ不可侵(お互いに攻撃することはしない)条約が結ばれます。これ、世界に衝撃が走ります。細かい話しは避けますが、ナチス・ドイツとソ連は犬猿の仲、水と油。サッチーとミッチーがお互いの悪口を言い合うのを突然止めたような状況(←古すぎるか)です。当時、日本はドイツと協定(日独防共協定)を結んでいましたが、ソ連とは国境をめぐって争っていました(ノモンハン事件)。日本にとってドイツの行動はまさに裏切りでした。日本は結局ドイツといっしょに地獄の底にたたき落とされるわけですが、後の時代から見れば、まさにこの時が日本にとっては運命の分かれ道だったかもしれません。このとき日本がドイツと手を切れば、東京大空襲も広島や長崎への原爆もなかったかも知れません。

wikipediaより長崎に原爆が投下されたときの写真

しかし、このときの日本の首相(平沼騏一郎)は「欧州の情勢は複雑怪奇なり」とか言って、首相を辞めてしまいます。この辺の日本の政治家の無責任さはいまに至るまで変わっていないような気がしますが、なにはともあれ、独ソ不可侵条約はそれほど衝撃だったわけです。

しかしドイツの指導者・ヒトラーもソ連の指導者・スターリンも、独ソ不可侵条約が永遠だとはいませんでした。二人ともかなりしたたかで、一時しのぎだと思っていたわけです。

wikipediaよりヒトラー

とりあえず、ドイツは東隣のポーランドへの侵略を開始します。ドイツはこれまで軍隊を置かないと約束していたところに軍隊を置いたり(ラインラント進駐)、ズデーテン地方を強引に併合したり(チェコスロバキア解体)、やりたい放題でした。イギリスやフランスはいままで多めに見てきましたが、ドイツがポーランド侵略を開始したことで、堪忍袋の緒が切れます。第二次世界大戦の始まりです。・・・というかイギリスやフランスがこれを見逃したら、世界中がイギリスやフランスを信用しなくなったでしょう。

ドイツ軍は怒濤の勢いで西へ軍を進めます。ドイツとフランスの間にあるオランダは4日で降伏、フランスの首都・パリもわずか1か月で陥落。さらにイギリスの首都・ロンドンに次々と爆弾を投下します。このときドイツはミサイルを発明、ロンドンは世界で初めてミサイル攻撃を受けた都市になります。世界中がイギリスが降伏するのも時間の問題だと思いました(実際は降伏しませんでしたが)。

イギリスの国旗・ユニオンジャック

このときからヒトラーはソ連へ攻め込むことを考えていました。一方のスターリンは、まだ攻めてこないと考えていました。スターリンは少しでも自分に反抗しそうな人たちを殺しまくっていたので、ソ連軍には優秀で経験豊かな軍人がいなくなっていましたからいまここでドイツに攻め込まれては勝ち目がありません。もしかすると現実から目を逸らしたかっただけかもしれません。

wikipediaよりスターリン。ヒトラーがユダヤ人を殺しまくったのは有名だが、こいつの犯罪も忘れてはならない。

独ソ不可侵条約を結んでからわずか2年後の1941年。ドイツ軍はソ連への攻撃を開始します。世界最強のドイツ陸軍がものすごい速さでソ連の首都・モスクワをめがけて進撃してきます。それに対しスターリンはどうしたか。あまりの恐怖に、別荘に引きこもってしまいました。なにせ人を殺しまくってきたので、これを機にクーデターを起こされ、復讐されると思ったわけです。自業自得です。

しかし、スターリンの下を訪ねてきた部下たちはこう言いました。「この状況を対処できるのはスターリン同士しかいない。」これでスターリンは復活し、ドイツに立ち向かう決意を固めるわけです。

1941年の10月くらいになると、ドイツの気象予報士は「今年の冬はいつもより寒くなる可能性がある」と予報しますが、ドイツ軍はこれを無視します。しかし、1941年はエルニーニョ現象が起きた年でした。当時はまだエルニーニョ現象は発見されてはいませんでした。エルニーニョ現象は南米のペルー沖の海水温がなぜか普段より高くなることで、世界中に異常気象を引き起こす現象です。日本では、冷夏になり、暖冬になります。ヨーロッパの北東部では夏すごく熱くなり、冬すんごく寒くなります。

この現象が1941年独ソ戦の真っ最中に起こります。この判断がドイツの運命を分けます。11月になるとソ連ではマイナス20度、12月にはマイナス30度まで下がります。物資を戦場に運ぶ馬がつぎつぎ凍死。現場で戦う兵士もつぎつぎと凍傷になります。とてもじゃないですが、ドイツ軍は戦える状況ではありませんでした。それを待っていたのがスターリンです。寒さに強いソ連軍の逆襲が始まりました。

ソ連軍の猛反撃にドイツ軍はとうとうソ連から撤退、一方的な防衛戦になります。ちなみにエルニーニョ現象が起きた翌年にはエルニーニョ現象の反対のラニーニャ現象まで起きるわけですが、それでドイツ軍はさらに翻弄されます。そして1945年の4月になるとドイツの首都・ベルリンへソ連軍が攻め込みます。4月30日、ヒトラーは自殺します。ドイツの降伏は5月8日でした。

天気の変化は地上に生きる人間に大きな影響を与えます。昨日の台風もそうでしたが、ひとはそれに抗う術を持ちません。三鷹や津田沼の駅では入場制限が行われ、大変だったらしいですが、いくら科学技術が発達しようとも、天気には敵わないわけです。台風が来たらしょうがない、そういう気持ちをもつのも大切なことではないしょうか。