山形と東北地方の中心都市を結ぶ仙山線に乗り、山寺を目指します。

仙山線 普通・仙台行き

素人が見たらどっからどう見ても違法建築な感じと松尾芭蕉の俳句で有名な、山形でも有数の観光地です。さて、山寺は個人的に行ってみたい寺だったので、行くこと自体問題ないわけですが、このブログではどう紹介しようか。非常に悩んだわけです。

山寺駅の駅名標。となりの「面白山高原」のいったいなにがおもしろいのか気になるところ。

なにせこのブログのテーマは、「薄く浅く」です。松尾芭蕉は国語の教科書には登場する有名人ですが、歴史の教科書ではそれほどでもありません。そう、彼は権力者ではありませんし、日本史に特に大きな影響を与えたわけではありません。俳句がうまいじいさんです(←おい!)。

山寺に入ってすぐあるこの石柱が芭蕉の句碑。なんどもよく見たが、「し」っぽい字が書いてあることしかわからなかった。
閑さや(しずけさや) 岩にしみ入(いわにしみいる) 蝉の声(せみのこえ)

そうかと言って、山寺の歴史を紹介しように、円仁という歴史好きには有名ですが、そうでないひとにしては100%聞いたことないマニアックな坊さんを取り上げなくてはなりません。円仁は天台宗を語るにおいて大変重要な人物ですが、「あー、天台宗って、最澄だっけ?空海だっけ?」という感じのひとがおそらく日本国民の大多数だと思います。そこで今回は、平安時代から鎌倉時代にかけて、だんだんお手頃に接しやすくなる日本仏教の歴史です。

山寺の頂上を目指すには1,000段を超える階段を上っていく。

結論としては、いつの時代も「気軽、お手軽、お手頃が一番」という話しです。

山寺は険しいところに建っている。

まず、仏教はブッダがインドやネパールのあたりで開いた宗教です。輪廻(人や動物が何度も何度も生まれ変わること)の苦しみから、悟ることで解脱(輪廻から外れること。)することを目指す宗教です。その仏教が日本に伝わったのは聖徳太子が活躍するちょっと前、いまから1500年くらい前です(だいたい西暦500年代の半ば)。そしてだんだん、貴族や天皇が仏教にはまっていき、いまから1250年くらい前の奈良時代の中頃、聖武天皇が奈良の東大寺に大仏を作ったりするわけです。

奈良の大仏。

平安時代になると、最澄と空海が中国へ修業をしに行きます。で、日本に帰ってきて、最澄が開いたのが天台宗。総本山は京都と滋賀の府県境にある比叡山延暦寺です。空海が真言宗。総本山は和歌山県の高野山金剛峯寺です。山寺は、天台宗です。で、さっき出てきた円仁は最澄の弟子で、天台座主(天台宗のトップ。)の3代目(最澄が死んでから「天台座主」というポストができたため、最澄が初代ではない)です。円仁は天台宗の教えを全国に広めようとがんばります。その一環で「立石寺」という寺を創るわけですが、それが「山寺」です。

ここが山寺で一番景色がいいところ。耐震基準が気になるところ。

天台宗は平安時代、国から認められた宗教でした。なにせ円仁の時代から明治時代の初めまで「天台座主」というポストに誰が就くのかも、国が決めていたほどです。これ以上のバックはありません。しかし、天台宗も真言宗もそこまで全国に広がったわけではありませんでした。

この階段の上が山寺の頂上・奥の院。

なにせ2つとも、すごい山の中で厳しい修行をしなくてはならないからです。一般庶民が求めるものは、「お気軽、お手軽、お手頃」です。そんなメンドクサイことするよりは、稲1本植えたほうが全然マシなわけです。そこで鎌倉時代になると、ひたすら座禅を組んで問題を解決していく臨済宗、南無妙法蓮華経さえ唱えとけばいいという日蓮宗などが出てきて、それらが庶民に広がっていきます。この鎌倉時代に出てきた仏教をひらいた人たちは、高野山で修業したので、高野山が聖地的な扱いを受けているわけです。

山寺駅のホームから見た山寺。崖の上に建っている。
山寺の御朱印。すごい勢いを感じる。

さて、再び、仙山線に乗り、仙台を目指します。


著者
きむら

きむら

北陸地方出身。東京23区で夫婦仲良く暮らす32歳。趣味は鉄道、歴史、登山。いつか行きたいのはアイスランド。オーロラを生で見てみたい。血液型B型。中肉中背。めがね。黒髪。

コメントを残す